これもまた、ゴローさんの話です。前のしゃぼん玉と同じ頃、7才頃の話と言うことになります。
ゴローさんは、歩けません。それどころか、5才までの命だったというのは、前回も記しましたが、不思議というか、本人曰く、神様の悪戯ということで、なんとそれに10倍以上の年月が流れて、今も健在ということなのです。
実際のところ、6才頃までは本当にひ弱で、両親も親族の皆さんも、医者の言ったことに、疑いを挟むなどとても出来なかったと思います。本人よりは、むしろ周りの方々の心痛は、大変なものであったでしょう。ありていに言えば、心の準備をされていたのではないでしょうか・・・
ところが・・・と、彼はいつか元気になっていくのですが、その原因というのは、容易には分からない、分かりようがないのですね。シャボン玉の一コマも、その不思議がなされる最中のもののようですし、これからお話しすることも、その最中でもあり、また多くの要因の一つなのかもしれません。
ゴローさんには、おばあさんがいました、大変気丈な人だったようですが、こんな人は、しかし昔はたくさんいらっしゃったのかもしれません。くちぐせのように、どんなにお腹がすいても、よそ様の家でご馳走に預かってはいけないとか、家に泣いて帰ってくるなとか・・・・そういえば、小さいときに私も聞いた覚えがあるのですが・・・・それにしても、ゴローさんの場合、ひ弱で、足も使えない(いつも這って歩いていた少年だった)わけですから、泣いて帰ってきても許されるのではと思うのですが・・・泣いて帰ってくるな、やられたらやり返せ・・・の教訓を体得させるのは、ずいぶんと厳しいもののような気がするのです。
そしてやはり、彼も泣いて帰ってくるという日が来ました。兄さんの友人の一人と聞きましたが、彼に棒でたたかれてしまったのです。そして、おばあさんは、彼に告げました。泣いて帰るな、やられたらやりかえすのです!
ゴローさんはやったのですね。おばあさんの教訓を会得するために自分の状況を振り返ることなく!ある日、たまたま件の少年を含む子どもたちが集まったとき、這ったままの姿勢で、その少年の膝近くをかぶり・・と。不意をつかれたその少年は、もちろん泣き出したそうです。これで、ようやく、ゴロー少年の意識の中に、泣くよっかひっ飛べという教訓が見事に、刷り込まれることになりました。このことがあったせいかどうかはわかりませんが、『私はね、障害がなかったらね、どんな人間になっていたんでしょうかね、おそらく謹厳実直と言うのには、程遠い人間になっていたのでは』、と、今の彼はそういうのです。
おばあさんの思いがどんなものだったのか、無論知ることは出来ません。でも、ゴローさんの状況を受け入れ、落胆していた両親を励まし、なおご自分の愛情を彼に注いでみようと思われていたのではないだろうか・・・
おばあさんの畑に、荷車に乗せられた彼を連れて行き、ござを敷いて、その上に彼を置く。『たまには草取りくらい、しなさい ・・・』と放置する。彼は這って行きながら・・・効率などない、それでも雑草を取ったそうです。暑い陽射しと、土の匂いそして、虫たちもいたでしょう。脳性麻痺の、それも長生きは出来ないと言われていた彼にとって、これらは、むごいことだったろうか、およそ現代の日本では考えられないことなのではないだろうか。でも、おばあさんの思いがどんなものであったにしろ、敗戦後間もないときにあって、か弱な孫の行く末、そう、行く末を思い、そのために彼女に出来る最善のものを与えようとしたのかもしれない。死ぬのかもしれないという思いと、それ以上に、生きなさいという思いがあったと思う。人としての精神性、生きるということの一端を、率直に伝えようとされていたと思うしかない。
そして、ゴローさんは、この頃から、確かに元気になっていったといいます。

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