暑い夏という概況だったように覚えていますが、ちょうど8・6の辺りから、雨勝ちの天気が続くようになりましたね。なんとなく、その8・6の頃に似ているような気がしていたのですが、今のところ、思ったよりも涼しい日があったり・・という事で、これといった被害があるわけではなし、ま、いささか異常な気もするが、いいかっ!というところでしょうか・・・ただ、先日、ミヨシさんの話を聞いて、改めて思い起こしたものですが、ミヨシさんの話、ドザエモンの言葉まで飛び出して・・・ま、読んでみてください。
93年の8・6水害
いつもは空など見ない母親が、その日の朝は珍しく空を見上げて
何かおかしいど、雲の動きが変じゃ・・・なんて言ってましてね
自分はね、目もちょっと悪いせいもあったけど、何もおかしくもない
様に見えましたけどねぇ・・・ただ、普段そんなことを言わない母親が
珍しく強い調子で語っていたことを覚えていますよ。
3時過ぎ頃から、雨が降り始めて、その直前にも母が、見っめー、おかしな雲
じゃが、何かあっど・・・などと言ってましたが、そのときも自分はぴんと来なかったですよ。
しかし、降り始めるとひどい降りで、その異常さは、やっと自分にも
感じ始めたのでしたが・・・
空はかなり暗かったのですが、夕刻時分にちょっと先のほうを見ると、何かきらきらと反射していて、甲突町にも水が入ってきたのがわかりましたよ。雨は降り続いていて、このまま浸水がこちらまでやってくれば、避難もできなくなる・・・そんなことを母と話したりしていましたね・・・
そんな時に、近くのブリキ屋から電話がありましてね。ブリキ屋には、若い人が何人か居たんですがね。うちのことを心配されたんでしょう。こっちに避難しないか?ということだったですよ。大体、20cmも水が溜まれば、車椅子なんて動かないですからねぇ。
でも、断ったんですよ。
もう、55年も生きたしね・・いつ死んでもいいと思ったんですね。そう母親に告げると、母親の方も、もうええっ、二人しっせぇ土左衛門にでもなろかい・・・ということでね、断りました。
結局、家のあるところが、ちょっと高台になっていましてね。水は来なかったですよ。でも、町内の下のほうじゃ、2mほども水が来てましてね、本当に、
助かったんですね。後から、役所のほうから人が来ましたがね。ボートを引いてきていましたが、大丈夫ですか・・・と言って帰って行きましたがね。
そして、9月に入り、麦の芽と出会う。55年後の、新しい人生が始まるのは、それだけで劇的なものだが、8・6水害のこととあわせてみると、更に不思議な想いになります。