2008年8月27日水曜日

8月も終わり


 もうすぐ夏も終わり、暦の上では秋は始まってはいるのですがね。でも、夏休み中・・・結局今年の夏は、雨が多く過ごしやすかったようです。カブトムシ捕りはもう増えないかもね・・・今年は、10匹以上捕れましたが、これももう終わり。畑のサツマイモ、すっかり茂っています。9月の終わり頃かな、収穫は・・・23日の鹿児島市の花火大会は、雨にもかかわらず実行、残念ながら音だけ聴いていました。
 今日初めて、ヘイ君のベッドメイキング見せてもらいました。ヘルパーさんの右左という指示はありましたが、戸惑うこともなく、しっかりと敷いていましたよ(目が見えているかのような!!!)洗濯物を干すこともあるし、食事の片付けなどもね。感心してしまいましたが、これをもっと頻繁に行っていければいいなあ、とも思いました。

2008年8月24日日曜日

8月の空

                         
  暑い夏という概況だったように覚えていますが、ちょうど8・6の辺りから、雨勝ちの天気が続くようになりましたね。なんとなく、その8・6の頃に似ているような気がしていたのですが、今のところ、思ったよりも涼しい日があったり・・という事で、これといった被害があるわけではなし、ま、いささか異常な気もするが、いいかっ!というところでしょうか・・・ただ、先日、ミヨシさんの話を聞いて、改めて思い起こしたものですが、ミヨシさんの話、ドザエモンの言葉まで飛び出して・・・ま、読んでみてください。
 93年の8・6水害

いつもは空など見ない母親が、その日の朝は珍しく空を見上げて
何かおかしいど、雲の動きが変じゃ・・・なんて言ってましてね
自分はね、目もちょっと悪いせいもあったけど、何もおかしくもない
様に見えましたけどねぇ・・・ただ、普段そんなことを言わない母親が
珍しく強い調子で語っていたことを覚えていますよ。

3時過ぎ頃から、雨が降り始めて、その直前にも母が、見っめー、おかしな雲
じゃが、何かあっど・・・などと言ってましたが、そのときも自分はぴんと来なかったですよ。
しかし、降り始めるとひどい降りで、その異常さは、やっと自分にも
感じ始めたのでしたが・・・

空はかなり暗かったのですが、夕刻時分にちょっと先のほうを見ると、何かきらきらと反射していて、甲突町にも水が入ってきたのがわかりましたよ。雨は降り続いていて、このまま浸水がこちらまでやってくれば、避難もできなくなる・・・そんなことを母と話したりしていましたね・・・

そんな時に、近くのブリキ屋から電話がありましてね。ブリキ屋には、若い人が何人か居たんですがね。うちのことを心配されたんでしょう。こっちに避難しないか?ということだったですよ。大体、20cmも水が溜まれば、車椅子なんて動かないですからねぇ。

 でも、断ったんですよ。

もう、55年も生きたしね・・いつ死んでもいいと思ったんですね。そう母親に告げると、母親の方も、もうええっ、二人しっせぇ土左衛門にでもなろかい・・・ということでね、断りました。

 結局、家のあるところが、ちょっと高台になっていましてね。水は来なかったですよ。でも、町内の下のほうじゃ、2mほども水が来てましてね、本当に、
助かったんですね。後から、役所のほうから人が来ましたがね。ボートを引いてきていましたが、大丈夫ですか・・・と言って帰って行きましたがね。

そして、9月に入り、麦の芽と出会う。55年後の、新しい人生が始まるのは、それだけで劇的なものだが、8・6水害のこととあわせてみると、更に不思議な想いになります。

2008年8月10日日曜日

夏からの贈り物

 
  広島、長崎と原爆の日が過ぎ、一番暑い頃なんでしょうが、ここ3日ほどはしのぎやすい日が続いています。この日は、朝から、時折雨が降り、風に当たっていると肌寒い、加えて櫻島も噴火・・・降灰もありました。そしてまた雨。ヒグラシから鳴き始めた夏の様子は、やっと他のセミたちも賑わいを増し始めて、カキアカネも増えてきていましたが、降灰と雨とに、しばし休憩といった様子(左)。
 背景には夏空が明るく、そこに霧雨がきらきらとおちていましたが、不思議な雰囲気でしたね。あえて異常気象などとは言いますまい。異常なのは、もともと人の側に有るのですから、自然は人の営みを反映はするのでしょうが、実に優しく返してくれているような、そんな気がしました。 夏からの、本当に優しい贈り物の一日でしたよ。